1Q84 BOOK1

著/村上春樹 出版/新潮社

感想?

人間は欠けている部分を補完しようとする習性があり、また補うことのできる能力を持っています。文字や絵の一部分が隠されていても、見えている部分から隠れている部分を推測してそれがどんな文字や絵であるか読み取ることが出来ます。
ぱにーに(=゚ω゚)ノはライトノベル読みです。新聞や雑誌を除けば活字媒体で読む本の9割以上がライトノベルであり、もちろんその事は世間様に対してあまり誇れる事ではありません。
そのよく読むライトノベルの特徴として何より顕著なのが、主要登場人物のイラスト・挿絵があると言う点。いわゆるビジュアルエイドと呼ばれるもので、最近はラノベの読み過ぎからかラノベ以外の挿絵の無い本を読む時に微妙な違和感を覚えることもしばしばあるくらいに、ラノベという文化にどっぷり浸かってしまってます。
ところで1Q84は当然ながらラノベではありません。つまり絵がありません。先に述べたように人間は欠けているものを補おうとする習性があります。ぱにーに(=゚ω゚)ノが絵の無い本を読んだ時に本能的にイラスト的な何かを補おうとし、独創性の欠如および短絡的な方法として、過去に見たり読んだりした様々なアニメやゲームのキャラクターから無意識的に近いものを引っ張り出して当てはめてしまうのは、言わば一種の職業病と言っても過言ではないのではないでしょうか。
もちろん色んな人物描写からオリジナルのキャラクターを想起できればいいのですが、「与えられた絵」がまずあるラノベに慣れているとどうしても自分で考えずに、既存キャラクターを置換してしまうのは仕方の無い事ではないかと思うわけなのです。


1Q84に「ふかえり」こと深田絵里子という女子高生が登場します。必要最低限の内容を短いフレーズで話し独特の感性と時間に生きる彼女は物語の主要登場人物の一人なんですが、登場した瞬間既視感を覚え――ここでそれを無視してしまえば良かったんですが――ああマジアカマラリヤに似てるなと思ってしまったところで根源的な人物像のカテゴライズが行われてしまい、両者に様々な差異があるにもかかわらず、以降マラリヤという色眼鏡を通してしか見えなくなりました。
つまりぱにーに(=゚ω゚)ノにとって1Q84マラリヤである(`・ω・')キリッ

以降真面目な感想(ネタバレ有り)

現実世界の1984年と、1984年とは少しずれたパラレルワールド1Q84」年という2つのストーリーが交互に展開されていて、最初はあれ?なんだろ?と思ったものの、上巻最後で片方のストーリーは作中作『空気さなぎ』だろうってのが示唆されて色々と納得。もちろん上巻しか読んでないので間違ってる可能性もあるとは思いますが、普通に読んだらほとんどの読者はそう読み取るのではないかと思います。
実のところ村上春樹作品を読むのは初めてだったんですが、平易な文体で読み易いにも拘らず、哲学やら先達の知恵なんかが会話の随所に散りばめられていて非常に興味深く、さすが実力派作家だと思わずには居られない面白い作品でした。ありえない語尾でキャラ付けされる薄っぺらい記号だけのキャラではなく、ちゃんとした魅力ある個性を与えられたキャラクターばかりで、次に読むラノベは自然と評価が厳しくなりそうです。