D.C.S.S.〜ダ・カーポセカンドシーズン〜♯17「音夢と純一」

なにあの亭主関白な純一(;´Д`)
まるで家政婦の如く音夢を酷使する様は見ていて感じ悪いことこの上なかったです、はい。
炊事・洗濯・掃除(散らかしまくった自分の部屋まで)させるのは当然として、次から次へと音夢を呼びつけては自分の欲しい物を持ってこさせるわと、何様ですかこの純一とかいう男は。しかもその間自分はテレビ見たり雑誌読んだり昼寝したり。自分は座ったままで、仕事や家事をしている音夢を呼びつけてはコールドドリンクやお菓子持ってこさせたりしたシーンは、見ていて不快指数が臨界点突破って感じでした。
っていうか脚本書いた人さ、もしこれが真面目にお話を考えた上でのシナリオだとしたら、真剣に才能無いと思うのでこの仕事辞めた方が良いんじゃないでしょうか?逆に、もし適当にやっつけ仕事をしたのなら、プロとして恥を知りましょう。いやこれ叩きとか煽りじゃなくて、真面目な話ですよ?本当に心からそう思いました。
ちなみに17話の脚本は「雨宮ひとみ」「長谷川勝己」だそうです。


不快といえば、OPのサビで純一が桜の花びらバックに手を伸ばしてるところで「監督 名和宗則」って出ますよね。もしかして名和監督って純一に自分をダブらせてたりするんでしょうか(笑)そう言えば某ガンダムSEEDの脚本の福田(嫁)もカガリを自分にダブらせてるとか。
そう考えれば、今日の純一と音夢の関係が彼の理想の男女像だったのかもしれません。ちょっと優しくするだけでひたすらに尽くしてくれる妻と、それを当然のこととしてまるで奴隷のごとく扱き使う夫。しかもお金稼いでくることまで妻の仕事、自分は遊んで暮らしてます。勿論そういう男女の関係が世の中に存在することは否定しませんが、それが恋愛物語の中で誰もが納得行く理想の男女関係としてテレビ放映されることが当然であるとは微塵も思いません。
まぁ名和=純一は本当に邪推なんですけどね。サビとかの歌の良い部分で監督の表に出てくるスタッフの名前出すのは普通といえば普通ですし。ただ今日の内容が余りに酷かったというか、現代ではほぼ否定されている「夫が死んでは子に従え、子が死んでは孫に従え」に代表される古い日本の家族観に近いものがあったと言うか……


さらに後半、そんな純一に憤慨してキレたアイシア音夢が語りかけるシーンに至っては、デートのこと(どこへ行くかじゃない、誰と行くかが大事なの〜)だけ持ち出して、こき使ったことに関しては少しも説明していません。もちろんアイシアはかなり馬鹿なので(今まであまり直接言ってきませんでしたがもう疲れました)そんな音夢の誤魔化しにも全く気付きません。それともデートと一緒で、純一になら徹底的にこき使われてもいいってことなんでしょうか?でもなんだかそれって変じゃないですか?上でも書きましたけど、男女は本質的に対等であるべきだと思いますし、働いてない以上むしろ尽くすのは純一の方ではないでしょうか。
音夢が今まで純一をほったらかしにしてきたお礼という見方もできなくは無いですが、2年間のサポート部隊の奉仕に対しては一回旅行に連れて行っただけでチャラにしてるので、まぁそれはないですよね(笑)


そして最後は「私の魔法でみんな幸せにできるなら」とか言い出して暁の町へ消えてゆくアイシア。何がヤバいって、今まで散々使い古された魔法少女モノの王道「魔法では本当に幸せにはできない」ルートが発動しかけていること。今まで17話も意味不明かつ結末の決まっている恋愛ストーリーを見せられた上、残りは使い古されたシナリオで締められたりしたら、結構古くからサーカス儲でD.C.好きな自分としてはもうやりきれないというか…………


悪いところばっかり挙げ連ねるのもなんなので17話の良かった点を。
暦先生に「早く子供作れよ」といわれた音夢が顔を赤らめて視線を逸らすシーン、音夢が見つけたエロ本とアイスの棒を何も言わずにゴミ箱に入れたシーン。
前者は単純に可愛かったのと、後者はゴミ箱に入る時にアイスの棒が回ったのが無駄にカッコよかったです(笑)