CLANNADをバッサリ!「人間を甘く見ている」巨匠・出崎統が"萌え"を斬る!

しかしぱにーに(=゚ω゚)ノはCLANNADをやったことがなかった!源氏物語も古文の授業でちょろっと触った以外は読んだことがなかった!旧約聖書なんて新約聖書との違いすら分かってなかった!

──テキストをアニメーションというメディアに変換するときに、変わらずにはいられない。原作を移植するだけなら、それはもう、ただの作業でしかない、ということですね。
パラダイムノベルお前の事だ!!
は置いといて、確かにそうなんだけど原作の原作たる箇所は残さないといけないと思います。でないとオリジナル作れよって話だし。まぁ枝葉末節です。気になっただけ。

CLANNAD』をやっているときに、この子(ヒロイン)なんで死ぬの? って訊いたんです。そうしたら「ゲーム上死なないとね、泣けないんですよ」って答えられた。一見シリアスなんだけどさ、オレから見るとちゃんとした根っこがないんだよね。

一体全体誰に質問をしたのかは分かりかねますが(劇場版の製作スタッフ?)、少なくとも信者はこんなこと絶対に言わないと思います。
CLANNADやってないので史上最高にして究極至高のゲーム水夏-SUIKA-に置き換えて話しますが、「なんで白河律が死ぬの?」と聞かれて「ゲーム上死なないと泣けない」なんてことは口が裂けても言いません。というか思いません。
律はさやかの母(=律の妻)の死に際し、夫としてよりも画家として筆を取った事にずっと負い目を感じていました。妻の死に際して訪れた天啓ともいえるインスピレーション。画家としてさっぱり売れなかった自分を懸命に支えてくれた妻に報いたいという長年の想いが、その時死にゆく妻に駆け寄るのではなく妻の絵を描く筆を取らせたのではないでしょうか。
そしてその『死』を描いたおかげで律は画家として大成したものの、代わりに娘さやかとの仲はこじれ、さやかが心許せる相手が誰も居ない孤独な少女になる大きな要因となってしまいました。『母の死すら絵を描く道具としてしか捉えない冷酷な父親』と言うさやかの憎しみと言う名の誤解を解くには、もう言葉だけでは無理でした。愛する妻との間に生まれた愛娘からの憎しみの眼差しは、律の心に鋭い杭となって穿たことでしょう。もう一度娘の笑顔を見たい、自分の人生たる絵を、愛する妻から与えられた大切な絵を、誤解されたままでなくちゃんとした形で愛娘に伝えたい、残したいと願い、死にゆく間際まで笑ったさやかの絵を描き続けた律。魂を狩ろうとする死神にほんの少しの猶予を貰い、自分がさやかを愛している事を、そしてさやかの母も愛していたという事を伝えるべく、キャンバスに向かい続けた律。うん、水夏はほんと名作だよ( ´Д⊂ヽホロリ
CLANNADがどういう話かは知りませんが、評価されてるんだからそれなりにしっかりとした話なんだと思います。ちゃんとプレイした人なら間違いなく「ゲーム上死なないとね、泣けないんですよ」なんてふざけたことは言わないでしょう。