D.C.2S.S.第13話「巡りくる季節」
さくらと音夢
さくらは純一となんか一緒に成仏したみたいな描写がありましたが、1期から続く純一を巡る音夢とさくらの争いで、最後さくらが勝ったって事なんでしょうか。もしそうだとしたらずっと勝利し続けて、最後の最後で戦う機会すらなくさくらに負けてしまった音夢が可哀想ですね(´・ω・`)
これは原作ではさくらが過去のロンドンに飛ばされD.C.3に続く――みたいな感じでしたけど、アニメオリジナルっぽいです。
それにしても何してるか知らないけど帰ってきたら最愛の純一は行方不明とか、音夢は不憫ですね(´・ω・`)
D.C.と言うタイトルに込められてきたテーマの否定
アニメ無印も(あの不人気で名を馳せた)D.C.S.S.ですらも、「安易に魔法に頼る事を否定し、魔法ではなく自分の足で一歩を踏み出す事が重要だ」というシリーズのテーマを踏襲し、最後には必ず枯れない桜を枯らして自分の力で幸せを掴み取るエンディングで終わってました。
まぁ簡単に言うと、辛くてもズルせず努力しろってことですね。幸せは自分の力で掴みとってこそ価値があると。
でもD.C.2S.S.ではそんな今までの積み重ねを全否定し、魔法に頼ってでもいいから幸せになることをテーマにしてしまいました。
別に続編とは言え全く同じ作品ではないのでテーマが移り変わる事それ自体は否定はしませんが、果たしてテーマが全く反対のものになってしまったことへの視聴者を納得させるに足る理由があったかと問われれば、ぶっちゃけ無かったと思います。
あれだけ「魔法で得た幸せは本当の幸せでない」と言い続けてきたさくらが、寂しいからと枯れない桜で義之を作った事自体作品世界に対する冒涜だと思うのに、一度桜を枯らして義之が消えちゃったらとても悲しいかったから、やっぱり魔法使って復活させました、てへっ♪て、ほんとやる気あるのかと小一時間問い詰めたい今日この頃。
それこそ、桜が枯れると共に消えた頼子さんの純一への儚い想い(無印)や、D.C.S.S.でアイシアが26話かけてやっと理解した幸せ≠魔法という結論も完全否定してしまっているわけです。
ぱにーに(=゚ω゚)ノは「魔法でも何でもいいから幸せになったもの勝ち」なんてのはD.C.シリーズに相応しくないと思います。
枯れない桜を使って義之を復活させる芳乃さくら。その行動は昔のさくらとはほど遠い。
中身は置いといて
とりあえず音姉可愛かったからまだ良かった……かな?
これだけ見ると音姉エンドだけど、実際はハーレムエンドっぽい雰囲気。
12話で姉妹両方に告白させてるんだから、個人的にはどちらか選んでくれた方がスッキリできたような(´・ω・`)
せっかく盛り上げたのに花が無い気がするなのですよ〜(´・ω・`)